マジック連発

「連発」と言っても、「関東大学奇術連盟発表会」の意味ではないです :p

先週末は、土曜日に、ゆみさんのライブ ke ha i、日曜日には鎌倉マジシャンズクラブの発表会と、マジックのショー連発でした。

ゆみさんには、facebook でも「お友達」になってもらいましたし、皆さんが口をそろえて褒めているくらい良いショーだったので、わざわざ嫌われるかもしれないようなことを書くこともないとは思うのですが、敢えて誰も書かないであろう点もあげておこうと思うのは、ゆみさんのようなレベルの高い人には起きやすい、褒められることは多くても、意見を言ってくれることが少なくなるというのは不幸であると思うからです。

これは僕の以前からのポリシーで、指摘事項は「次にはもっと良い演技を作るための参考情報」になるという思いからで、僕は、自分の演技を、もっともっと良い物にしたいと思っているので、僕の演技に対する指摘は大歓迎です。

さて、ke ha i オープニングは、舞台中央にテーブル(ロサンダーのフローティングテーブルみたいな形、サイズのもの :)が置かれており、上には布がかかっています。舞台に登場したゆみさんは、なにかあたりに「気配」を感じるように、テーブルに近づき、布をつまみます。

すると、その「何者か」が布を持ち上げるように浮き上がり、時に隠れ、また現れたりしながら、最後にはまた消えてしまいます。
マニア的な目から見ると、「それ」は、ちょうど「ゾンビボール」のような大きさ、形をしているように感じますが、ゾンビボールと違い、決して姿を表すこと無く、時に「現れる」と言っても、あくまで布の内側にその存在感を示すだけで、最終的には何者であるかは不明のまま、消えてしまいます。

このオープニングは本当に文句のつけようがないほど素晴らしく、まさに「気配」というテーマを見事に表しているだけでなく、現象の不思議さでも、意外性でも、完璧だったと思います。

その後、ショーはすべて明転のみで続くのですが、ひと通りの音楽に合わせた無言の演技を終えたゆみさんが「おしゃべり」を始める後ろで、先ほどのテーブル(「何者か」が消えた後、演技の前と同様に、持っていた布がかけられている)が下げられ、ほとんど同じように見えるテーブルが2つ運び込まれます。

そして、この2つのテーブルを使ってシンパセティックシルクの演技が行われるのですが、「明転で構成する」というチャレンジは素晴らしいとは思いますけど、その分後ろで出し入れするものが目につくのは残念です。それに、ここで「1つ下げて、2つ出す」というのも違和感を感じます。1つは最初からステージに残っているのですから、「もう一つ出す」だけで良かったのではないでしょうか??(どうしても「下げたい」理由があるのであれば、例えば僕なら2演目目にはテーブルを使わない演技をし、その後テーブルを2つ出してくるという演目順にすると思います)

そして、その後もおしゃべりを交えつつ、時々音楽に合わせた美しい演技を交えたりしながら明転でショーが続くのですが、ゆみさん自身が袖まで道具を取りに戻ったりする場面もあり、無理やり明転だけにする必要はなかったのでは?と感じました。

また、おしゃべりの最後に「音楽お願いします」と言ってから音楽が始まり、無言の演技が始まるというのも、ゆみさんの人柄が現れているという意味では良かったのかもしれませんが、おしゃべりがマトメに入り、そこで一瞬の間があって、自然に音楽が流れ始め・・・みたいな演出も悪くなかったのではないか?とも思うのです。

それも含めて、「暗転」って、「そんなに悪くない」のでは?っていう気もするんですよね・・・
最近見たのは、日向大祐君のライブだったり、気まぐれ倶楽部のお芝居だったりしますが、暗転が決して「中断」のように気になることなく、十分に短い時間で、逆にそれによって「場面転換」が「自然に」行われるという効果が出ている気がします。

あと、気になったのは、このライブが想定する客層はどういう層だったのか?ということでした。
僕は、完全一般人の友人夫婦と、一般人(だけど、僕と一緒に良いマジックのショーはいっぱい見ているので、意見は厳しい (^.^;))の、うちの奥さんと4人で行ったわけですが、おしゃべりの中に出てくる言葉に、ちょっと気になるものがありました。例えば、ジプシーカードが普通のカードと違うことを示すのに「インデックスがありません」とか、一般的にも通用するのでしょうか?とか、確か「クロースアップ」という言葉もあったように思いましたが、これも、一般にそれほど浸透しているのか?とか・・・

「カード」という言葉は一般向けではないから「トランプ」と呼びましょう的な教えで育った古いマジシャンとしては、結構気になりました (^.^;)

そして、逆に、もしライブが「マニア向け」だったのだとしたら、僕としては、もっともっと「マニアが喜ぶ」ような演技を増やして欲しかったなという点で物足りませんでした。

うちの奥さんは感想に「ちょっと地味に感じた」とか書いていたと思いますが、別に「派手にすべきだ」とは思いませんし、彼女がそういう意味で書いたのではないと思います。一般人なりに、僕と似たような「物足りなさ」を感じたのだと思います。

エンディングの演技がヒンズーヤーンだったというのも、地味な終わり方だったと思います。もちろん、それで「余韻を持った終わり方」という見せ方もあると思うのですが、それならそれで、「余韻の前」の「盛り上がり方」とかが足りなかったのかもしれません。

それも含め、全部含めて「ゆみさんらしい」ということなのかもしれません。そして、たぶんそれで皆さん大絶賛なのでしょう。
でも、僕が勝手に思い込んでいる「ゆみさんらしさ」の演技は、もちろん今回のライブでも見させてもらいましたけど、僕的には「そういうものをもっともっと、いっぱい見たい」という欲求の方が勝つという結果だったのだと思います。

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